レトルト・カレー論 1

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山﨑綾音‏

最近「個性」という言葉をよく耳にする。
  ある授業で、「学校はすべて自由服にするべき」というテーマでディベート を行った。その議論の肯定側が「みんな制服という同じ服を着ていたら個性が失 われる。」と言った。私はその言葉に疑問を持った。はたして本当にそうなのだ ろうか。
  確かにみんな同じ服を着ていたら、それだけで全員が同じ人に見える。校則で スカートの丈から髪型まで、きっちり決まっている学校だってある。そのせいで 個性が伸びないと思われるだろう。
  しかし、みんなが同じ服を着ただけで本当に個性は失われるのだろうか。たと えば、携帯電話。最近の携帯電話は似たものが多くて、どれも同じもののように 思える。でもよく調べてみると、この機種は画質がきれいだとか、この機種は音 質がいい、電波がいいなど、それぞれに特徴があり、またそれを売りとしている。 あんな小さな機械なので、機能を詰め込むのにはやはり限界がある。その限られ た中で、それぞれに利点を持たせている。それは一種の「個性」と言えないだろ うか。
  もっと例を挙げると、私は異なる5種類のカレーを食べた。カレーというと、 液状のカレールーに具が入っているという1つの一般的なイメージが浮かび上が るだろう。しかし、そのルーの味も具も、カレーの種類によって違うのだ。たと えば、こくまろカレーは野菜の具が大きいし、ディナーカレーは肉が大きい。カ レールーの味でいうと、ポンカレーには隠し味に赤ワインやブドウが使われてい たり、こくまろカレーには他のカレーよりオニオンがふんだんに使われている。 材料の違いによりカロリーや賞味期限にも差が出てくる。それにより、カレーと いう1つの料理でも様々な味が出るのだ。決まった味や材料の中で、どのカレーよりもおいしいものに仕上げるために、このような他とは違った工夫をするのだ。 それにより生まれた違いも「個性」と言えるのではないだろうか。
  つまり、限られた制限の中でも、個性を発揮することは可能なのだ。服が同じ だから個性が失われるなんて、そんなことはない。国語が得意な子もいれば、数 学が得意な子だっている。大人びた子もいれば、やんちゃな子だっている。外見 が制限されただけで、他にも個性を出せる場はいくらでのあるのだ。それでもま だ個性が失われると言うのならば、それは自分が個性をアピールしきれていない のだ。携帯電話やカレーのように、限られた中で自分の長所を出していく。それ がひとつのアイデンティティーの確立につながっていくのだ。

2012年1月

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